東日本大震災を経験して

日々ノ道具奥田金物があるのは宮城県仙台市。

3.11に東日本大震災を経験しました。
時間が経ち、「経験しました」と落ち着いて書けるようになりました。
これまでについて、そしてこれからのことについて、色々と記事を書いていきたいと思います。
<3/11~3/12>
3/11
午後2:46地震発生。
社屋にいた社員全員がとなりの駐車場の敷地に一斉に避難できたことを確認しつつも、地鳴りのような大きな音を立てながら長く強く揺れ続ける。
内心、「ついに宮城県沖地震がきたんだ」と思った。
一旦やんで、また揺れる。繰り返し繰り返し。
社屋は去年耐震工事したんだから絶対大丈夫。崩れない。でも、本当に?大きいよ、この揺れ。でもきっと大丈夫。聞いたことも無い不気味な地鳴りの音がなり続ける中、頭の中はそんなリピート。自分で自分を安心させるために。
社屋の外壁がグサッとひび割れてボロボロと崩れているのを目にする。
何度か地震速報がなるたびに社屋の被害確認に入るのを止める。
気づくと、会社の前の歩道が隆起したり地割れしていた。
会社の縦横2m四方の大きな大きなショーウィンドウのガラスが割れ砕けていた。
隣の会社の外壁がごっそりと崩れ落ちて駐車場の車を覆ってしまっている。
何度か社屋に戻ろうとするけれど、その都度余震が大きくなかなか安心して入れない。
社員を帰宅させなければ、と思いつつも停電でシャッターが降りず、またショーウィンドウが割れているので戸締りのしようがない。
シャッターは手動で降ろせるところは降ろし、割れたガラスのところは2tのパネルバンとブルーシートでバリケードの応急処置をする。
 
大きな地震から1時間~2時間後だろうか、ようやく社員を帰し私も会社至近の保育園に三男を向かえにいったのは。
三男はお昼寝タイムが終わろうとしていた時だったようで、4歳児男児達は恐怖心よりも友達がきゃぁきゃぁいっている事ににテンションアゲアゲになっていたようで妙にはしゃいでいた。
三男をピックアップ後小学校にいるであろう長男次男をお迎えに行くため帰路を急ぐ。
が、携帯のバッテリーが残り少ないことに気づいて慌ててコンビニに。ラッキーにも会社向かいのが開ていた。あ、カップめんやおにぎり、パンも買っておくか、と携帯充電用乾電池と共に食料を買いだめ。
(この時は地震の被害がどれだけ大きいかわからなかったので一晩もしくは翌朝分としかおもっていなかった)
 
帰路の信号は停電でどこもついていない。でもみんな運転マナーはとてもいい。だれも暴走もしていなければ、落ち着いて走行しているし、ウィンカーを上げれば入れてくれる。クラクションで煽る人もいなかった。
 
一方、カーナビのテレビでは信じられない光景が次々に映し出されていた。沿岸部の津波だ。
言葉が出ない。絶句。
本当の出来事なのか、さっきの地震も現実のものなのか。と思うくらいに午前中とはなんの共通性もない時間の中に佇んでいる気がする。
 
そして、まだ旦那とも電話が通じない。妹達や実家とも電話が通じていない。メールは送れるけど着信がない。携帯からのウェブのアクセスも困難。
とにかく長男次男の小学校に向かう。すると旦那からのメール。「長男、次男確保。自宅に向かう」おお~、無事だ。旦那も長男次男も無事だ。心から一安心。
自宅近くの町内の道路は水道管が割れているのだろう、いたるところで噴水が。
加えて注意して走行しないと道路に大きな断裂や段差ができていて危ない。
 
地震発生後5時間経過後。自宅マンション前でようやく家族全員顔を合わせる。
そこから、旦那は自転車で市内の自社のショップや社屋の確認にいくという。まだ余震が大きく頻回におこるので心配だったけど、ヘルメットや頭に装着するヘッドライトの装備を確認して送り出す。
高いよう壁の上に立つ9階建て6階の自宅内はとんでもない惨状。
玄関は下駄箱の扉前回で中の棚板ごと靴が全部床に落ちていて踏み場が無い。土足で室内に入っていくと…
ひ~!!子どもが下校して自宅にいなくてよかった。
キッチンカウンター、戸棚、テーブルにあるものは全て床に落ちている。冷蔵庫も扉が全て開いて、その中身が冷蔵庫下段の引き出しのことろに全て雪崩の如く落ちている。
食器類も割れに割れて、デロンギのエスプレッソマシンやオーブンレンジもカウンターから落ちコード一本でぶら下がっている。
昨晩多めに作った肉じゃがが鍋ごと床に落ちている。もちろん中身は全て床にぶちまけられている。ルクルーゼにヒビが入っているよ…。
キッチン、リビング、ダイニングいたるところにガラスや陶器の割れた破片が飛び散っている。
キッチンの造り付けの吊戸には耐震ラッチがついていたのだけど、今回の揺れはカバーできなかったようだ…。扉全開で中の食器類が8割方落ちてました。(その後、キャンピングカー用の扉のラッチに付け替えて、もう万全!!)
 
片付けないと子ども達を家には入れられない。でも、もうこの日は無理。
電気もつかず、自分の足元の確認もままならない。
そこで、近郊の戸建ての末妹宅に泊めてもらうことにする。もう一度、会社の社屋を確認に行ってから妹宅に向かう。
地盤の固いところに建っている妹宅はほぼ被害なし。割れた食器も倒れた家具もない。ただ、停電しているだけ。なんて違いなんだろう。車で10分の距離なのに。
 
21:00頃だったかな、妹宅到着は。
普段は「食べる」ことに情熱を燃やす長男もこの日ばかりは心身ともに疲労困憊なのか妹宅に着いたとたんに着替えて寝てしまった。
次いで、次男、三男も。
ガス暖房の妹宅はガスが使えなくても暖があるので、ガスが全面ストップでありながら暖かくいられたのは暖炉のおかげ。原始的なツールはとても有用。ブラボー!!
遅れて無事に到着した旦那はカップ麺をすすり、ラジオを聞きながら寝袋で就寝。
余震が絶えない。
停電の暗さが揺れへの恐怖を増幅させる。
それでも家族が揃って屋根の下で足を伸ばして寝ていられる。十分に恵まれている。神様ありがとう。
熟睡はできずに朝。明るい日朝日が差して無意味に安心する。明るさって大事。太陽ブラボー!!
 
旦那は早々に起きてインスタントの食事を済ませて自宅の片付けに向かった。
朝食を済ましつつ、あー、コンタクトとらないで寝ちゃったなぁ、と気づく。もう一泊妹宅に泊まることになり着替え等の荷物を自宅にとりに向かう。
先に自宅に入っていた旦那は再度市内のショップや会社を巡回してくるとドアにメモが張ってあった。携帯がつながりにくいので足跡や行方を知らせるには玄関ドアに貼るメモが有効。アナログな手法に頼るしかない。
子ども達だけを車に残すことに躊躇するものの、自宅内に連れて行くのも心配なので着替えや足りない洗面道具等をズンズンかばんに詰め込む。
 
避難所になっている小学校に立ち寄ってみたら体育館は足の踏み場もない状態。    パイプ椅子に座っている人、床に直に座っている人。毛布等は支給されたというより家から持参した物がほとんどな印象。
情報も何もない。食事の支給も12日時点ではなかったらしい。
日々ノ道具 奥田金物

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